2015年7月12日14時より、大正区コミュニティーセンターにて「辺野古で良いのか〜もう一つの解決策〜」という講演会を行います。お誘い合わせの上ぜひご来場ください。また、詳細は下記の添付ファイルをご覧ください。
We are going to have a symposium to think about the current unequal political situation between Okinawa and mainland Japan. It is mainly about the relocation of U.S. military bases from Okinawa to mainland Japan. (not to Henoko, of course!lol)There’ll be two guest speakers in the event.
The first speaker would be Yoshimi TERUYA, former president of Okinawan economic association.The second speaker would be Tetsuya TAKAHASHI, a professor of philosophy at the university of Tokyo.This talk session is going to be really interesting for both Okinawan and mainland Japanese. Don’t miss it!!
Btw, the detail of this event is on the link above this sentences. Unfortunately, it’s in Japanese language, tho.
また、以下に今回のゲストスピーカーお二方のメッセージを紹介させて頂きます。是非ご覧ください。
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照屋義実さん
本当に豊かな沖縄を引き継ぐ責任があるのです 照屋義実
大里村与那原(現・与那原町)で生まれて、与那原で育ちましたが、沖縄戦
の米軍の艦砲射撃でほぼ全滅の状態でした。父が1950年に照正組を立ち上
げ、島の復興のインフラ整備を担いました。私は小中高と地元に通って琉球
大学に入ったのですが、四ヶ月ほどで退学し、浪人生活を経て、1967年に
福島大学に入学しました。当時は文部省配置留学生といって、直轄で試験を
行い合格した学生を各大学に振り分けるのです。それで思ってもいなかった
福島へ行くことになりました。大学卒業後、大阪の山善という商社に入り、
二年九ヶ月いましたが、父が倒れたことをきっかけに、1973年に「沖縄は復帰して一年、
我々若い者がやらないといけない仕事がある。微力ながら、どこかで役に立
てるはずだ」と言って帰ってきました。当時は公共事業公共事業が真っ盛り
で、一件受注すれば半年〜一半年受注の心配をしなくていい。ところが復帰
後年数が経つにつれて業者が増えていくわけです。バブルや土地活用事業な
どを経験して、二度の大きな業態転換をしたわけです。
そうした経験からも、私は脱公共事業依存を通して自立することが必要だと
思います。信念を持って、基地は要らない、返してもらいたいと、そのほう
が間違いなく郷土の発展につながっていくということも言ってきました。し
かし基地依存、財政依存経済にしておいたほうが、日米の外交にとっては好
都合だという意図があるのではないでしょうか。現状固定化がよい、これが
構造的差別という表現を生んでいるのです。「照屋さん、基地がないといか
んでしょう?」未だにこんな話をされる経済人がいらっしゃる。これは沖縄
側の情報発信の努力が足りないのかもしれませんが、中央メディアの責任も
大きいと思います。
経済の自立的進展に向かって仕組みがつくられ、我々産業人も動き出して、
工夫がどんどん生まれてきて、ビジネスチャンスが広がっていく。先を展望
する楽しみが広がって、それに足場を置きながら、基地の撤去に向かってい
く。沖縄だけの視点ではなく、中国、韓国、東南アジアの視点を総合的に見
合わせる中で、沖縄の安全を希求するべき時だと思います。
『世界 2015.4 臨時増刊 沖縄 何が起きているのか』から抜粋
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高橋哲哉さん
『沖縄の米軍基地 「県外移設」を考える』まえがきより抜粋
日本は、一貫して沖縄を、ただ自己利益のために利用してきたのではなか
ったか。
「琉球処分」という名の琉球併合、日清間で琉球諸島を分割しようとした分
島条約問題、同化・皇民化政策、「国体護持」のための「捨て石」とした沖
縄戦、「本土」の主権回復と引き換えに米軍統治権下(事実上の米軍政下)
に沖縄を投げ出したサンフランシスコ講和条約、県民を欺く密約を米国と結
んでの沖縄返還、日米安保体制下での米軍基地の集中存置、基地負担に知ら
ぬふりをしたままの観光利用・文化の消費(「癒しの島・沖縄」)、そして
今、「オール沖縄」の民意を無視して強行される辺野古新基地建設。
ざっと顧みただけでも、これだけのことが思い浮かぶ。
沖縄差別、植民地主義の継続、などとも言われる。日米安保体制は、沖縄
を犠牲としてのみ成り立つ「犠牲のシステム」だった、とつけ加えることも
できるだろう。「戦後70年」と「本土」
では事もなげに言われるが、沖縄はいまだに「戦後ゼロ年」ではないかとい
う声もある。沖縄のチムグクル(肝心、思いやりの心)はもう張り裂けた、
と言われるのも当然ではないか、と思う。
私は本書で、このようにして沖縄を利用し、犠牲にしてきしてきた「本土
」の側の責任について、考えてみたい。「本土」とは、日本政府であること
はもとより、日本国の主権者「国民」の99%を占めて日本政府を支えてい
る「日本人」のことである。
沖縄では今、米軍基地の「県外移設」要求が広がっている。「日本人よ!
今こそ沖縄の基地を引き取れ」。ーー自分たちが沖縄に基地を押しつけてい
るなどと考えたこともなく、「沖縄大好き」で何度も観光に訪れたり、沖縄
に憧れたりしている「日本人」が初めて聞いたら、さぞかしショックを受け
るであろうこの声に、「県外移設」要求は凝縮されている。
私は、「今こそ」「日本人」はこの声に応答しなければならないと考える
。そして私の応答、「イエス」というものである。「日本人」は、沖縄米軍
基地を「引き取る」べきである。政治的、軍事的、経済的などの力を行使し
て、沖縄を自己利益のために利用して。犠牲にしてきた歴史を断ち切るため
に。そして沖縄の人びとと、差別される側される側の関係ではなく、平等な
人間同士として関係を結び直すために。
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※2015年7月2日付けの朝日新聞夕刊にて、本イベント関連記事が掲載されました。以下の添付書類をご覧ください。